2011年7月17日、ベティが脳腫瘍でお星様になりました。
わずか3ヶ月で旅立ちました。
突然発作を起こし、詳しい検査の結果は、悪性の脳腫瘍で余命数週間と言われ
私はすぐ仕事を辞め、それからは朝から晩までネットで脳腫瘍の数少ない情報を集め、ベティの頭部MRIを読影してもらうため大学病院を何軒も回り、漢方やホメオパシー、サプリを片っぱしから始めました。
とにかく発作を繰り返さない為には、抗痙攣薬とステロイドでコントロールするしかなかったにも関わらず、ベティはステロイドの影響で内臓の数値が上がる事もなく、主治医を驚かせた。発作も最初の一度きりで、無表情に寝てばかりではあったけど食欲も落ちることなく催促するほどだった。
途中、利尿剤を使っても腎臓が悪くなる事もなかった。
少しずつ目にも力が出て、大好きなベランダにも出たがりチョコチョコと走ってみたりと元気に見え、やっぱり良性だったか
何かが効いて腫瘍も消えちゃったに違いないと希望さえ見えていました。
でも今思えば元気に見せていたのかな。。私達のために頑張らせてしまっていたのかな。。
生きてさえいてくれたらそれだけで良かった。
内臓も心臓も太鼓判押されるほどの健康優良児だったから、何で脳腫瘍なんかに。。!悔しくて悔しくて、たまらなかった。
7月16日朝方5時すぎ、あずきのけたたましい吠える声で飛び起きた私の目の前に飛び込んできたのは
、あの日と同じ手足をバタバタさせ泡を吹くベティの姿だった。ベティは元気になってる、奇跡は起こせる、このままずっといけると
信じていた私は暫く声が出なかった。夫の、ちくしょう発作起きちゃったよ。。という言葉に震えが止まらなかった。もらっていた座薬をすぐ入れて病院へ向かった。
発作はすぐ治まったが、あと少しで病院という所でまた発作。
先生達も精一杯のあらゆる方法で対処してくれたが、発作が治まる事はなかった。
発作を起こすたびに脳が破壊される為、すぐに鎮静薬で治め辛くないようにしてあげる事しかもう方法はない、先生から「覚悟」「安楽死」という言葉。この言葉を何度聞いたことだろう。
家に帰れば又きっと元気になってくれる。覚悟なんてできるはずない、発作が起きた時に入れる鎮静薬を受け取り、私達はベティを家に連れて帰った。
16日の夕方になっていた。病院では発作を繰り返していたベティも家に着いてからは発作も数回しか起きず
本当にベティは頑張りながら一晩を過ごした。
17日の朝、意識は朦朧としていたけど一生懸命に目を開けて動きたそうにしたり、おやつを口に持っていくとぱくっと食べた。
食いしん坊のベティだから、お腹もすいているだろうと、急いでとびきりお肉で手作りごはんを作った。
支えながらでないと立っていられなかったけど、すごい勢いで完食し、そのあとは表情も出て意識もしっかりして
フラフラしながらでも部屋を歩き出した。ベティはもう大丈夫だよと、駆けつけていた叔母達と共に喜び、すごくいい表情を見せてくれたので、いっぱい写真を撮って、お水を飲んで。。。
そのすぐあとだった。
また発作、でも今度は違った。手足をつっぱねたと思った瞬間
静かに、ファンと声をあげて体の力が抜けていった。
17日18:34家族が見守る中、静かに私の腕の中で旅立ちました。
小さな体で最後まで頑張りぬいてくれました。
半狂乱になる私の横で泣きながら、ベティありがとう。。と言っていた夫。みんなの泣く声。
そして葬儀をし、お骨になったベティ。
もう私のこの頃の記憶はボヤーとしたものでしかありません。
この写真は亡くなる数時間前に、不思議な位の笑顔を見せてくれたベティ。
最期まで私に無償の愛をくれました。
ベティの病気の事を知って、チワ友さんみんなで織ってくれたという、素晴らしい千羽鶴。
開けた瞬間、心臓が飛び出そうになって夫と声をあげて泣いた。
ベティに沢山の愛を、ありがとうございました。
そして、とっても甘えん坊で私の傍から本当なら一時も離れたくないはずのあずきも、事の重大さが分かっていたのでしょう。。
きっと小さな頭で考え、一度もワガママを言う事もなく我慢してくれて、闘病の3か月の間、ベティの事に専念できた。
感謝してるよ。。あずきありがとう。
亡くなって2年が経ったけど、いつもベティの気配を感じます。そして、
あずきもベティがお気に入りだった場所を見てしっぽを振ってる時があります。
あ。。ベティ来てくれたんだね。
そんな風に沢山、話かけています。
姿は見えなくても、近くに感じられるだけで心が落ち着きます。
今日からお盆ですね。
ベティ。。おかえり。